親の学歴コンプレックスが酷い!子どもに自分の夢を託さない
一昔前に比べれば「学歴など関係ない!」という声もよく聞かれるようになり、実際に学歴などなくても成功している人も増えています。
しかし一方で、学歴によって就職活動や出世などが左右される状況がまったくないとは言えない状況です。
学歴社会だからこそ「学歴コンプレックス」に振り回されたり、悩まされたりする人も少なくないものです。
学歴コンプレックスにもいくつかのタイプがあるのですが、その中のひとつでよくあるのが、親の学歴コンプレックスに振り回されてしまう子どもたちです。
教育熱心な親たちすべてが学歴コンプレックスの持ち主だというわけではありません。
しかし、なかには自分の学歴コンプレックスを子どもにぶつけて、自分が思い描いた幸せな人生を子どもに実現してもらおうとしてしまう親もいます。
「何がなんでもT大に入らなきゃ意味がない」
「90点じゃダメ。100点じゃなきゃ」
「こんな成績じゃあの職業にはつけない」
「どうして〇〇ちゃんみたいにできないの」
そんな言葉を投げかけてしまうのです。
どの親も「子どもの成功のために」と信じて言っているのです。しかし中には、自分の学歴コンプレックスを子どもの成功によって解消しようとしているに過ぎない場合があるのです。
親が自らの学歴コンプレックスに気づき、子どもを傷つけないためにはどうすればいいのでしょうか。
今回は親の学歴コンプレックスについて考えていきたいと思います。
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Contents
学歴コンプレックスの親によくある3つのタイプとは
低学歴が理由で嫌な思いをしたことがある親
学歴コンプレックスがある親によくあるタイプのひとつは、自分自身が低学歴であるというケースです。
学歴がないことで、社会に出てから出世競争に負けてしまったり、大きな仕事を任せてもらえなかったり、「彼は高卒だからな」などという上司のセリフをたまたま聞いてしまったり…。
そういう屈辱的な経験をしたことで、
「学歴がないことがすべての元凶」
「どうして勉強しておかなかったのか」
と自分の人生をひどく後悔しているような人なのです。
だからこそ、
「子どもには同じ思いを味わってほしくない」
「学歴があればこんな屈辱を知らずにすむ」
という思いが強くなり、子どもの教育に対してひどく熱心になっていく親がいるのです。
まだまだ足りない、と思ってしまう
社会から見て、学歴があってそれほど困ることはないというのは、なるほど否定できない話でしょう。
教育熱心さが悪いのではありません。
しかし、その熱心さも度が過ぎると子どものためにならないのです。
たとえば、子どものやる気をまだまだ引き出さなければと、90点のテスト結果を持ってきた子どもに対して、
「どうしてあと10点がとれないんだ!」
とほめるどころか叱ってしまったりします。
子どもの成長や努力をほめてあげるよりも、
「まだまだ!もっともっと!」
とやってしまうのです。
親としては鼓舞しやる気を引き出しているつもりかもしれません。
でも、十分に頑張っている子どもにとっては苦しいばかり。
そもそも学歴コンプレックスのある親がいう
「まだまだ!もっともっと!」
は、足りなかった自分自身の頑張りや努力に対しての言葉なのです。
過去の自分を子どもに投影し、過去の自分に対する不満を子どもにぶつけていることに気付かなければなりません。
高学歴に高い自尊心を抱いている親
学歴コンプレックスというのは一般的に自らの学歴に対する劣等感を指していうものです。
しかし高学歴でありながら、学歴に異常にこだわる親もいます。
これもある意味、学歴コンプレックスと言えるでしょう。
要するに自らが高学歴であり「成功している」と自負しているからこそ、
「子どもにも同じ道を歩ませたい」
「自分の子どもなのだから、できなければおかしい」
と考えてしまうのです。
「将来は自分と同じようにT大に入らなければいけない」
「この仕事をついでもらわなければいけない」
と子どもに対して繰り返してしまいます。
親としては、
「自分と同じ道をたどれば必ず成功することができる」
「屈辱を味わうことなく、優越感を持って生きていける」
という確信があるわけです。
子どもが失敗し苦しむことのないように、という思いがそこにはあります。
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子どもの意思を無視しがち
しかし、親は親、子どもは子ども。
別の人間であり、別の人生であり、たとえ同じ道を辿ったからといって幸せになれるとは限りません。
親の幸せや生きがいが、必ずしも子どもにとっても同じものになるとは限らないのです。
しかし親は、自分の生きてきた道にしか確信がもてません。
成功したという事実が、
「自分の歩んできた道こそが正解である」
という自負となり、そこから子どもが外れてしまうことが、あたかも間違いであるかのように思えてしまうのです。
自分の成功した過程から子どもが外れて生きることをひどく恐れ、
「あの子とは遊んではいけません」
「あのスポーツをやってはいけません」
「このテレビ番組を見てはいけません」
といったように、子どもの行動まで制限するようになってしまいます。
でも、成功する道も幸せになる道も人それぞれ。
1000人いれば1000通りの正解ルートがあるのです。
子どもには子どもの人生があることを忘れてはいけません。
子どもの幸せは子ども自身にしか見極められないのです。
夢破れた経験を持っている親
そしてもう一つ、学歴コンプレックスを持つ親のパターンがあります。
それは、低学歴が高学歴かということではなく、学力が原因で何かしらの夢にやぶれた経験をもっている場合です。
弁護士になりたかったけれど司法試験で挫折した。
医者になりたかったけれど医学部に合格できなかった。
官僚になりたかったけれど国家試験に通らなかった。
入りたい大学があったのに受験で失敗した。
そのように、学力によって自分の夢を叶えることができず、挫折した経験のある親が、その夢を子どもに叶えさせようとする場合があるのです。
学歴というより「学力」コンプレックスですが、その結果子どもが高学歴になることを強く望んだり、そのために厳しく教育したりという行動を起こすところが、その他のタイプの学歴コンプレックスを持つ親と同じなのです。
子どもは親の代用品ではない
もし子どもが自発的にその仕事に興味をもち、夢をみたのであれば、そのバックアップを親がするのはいいことです。
しかし、親が子どもに夢を押しつけ、意見を聞かず、親の代わりに夢を叶えさせようとすることが、子どもにとっての幸せになるはずがありません。
親は親、子どもは子ども。
子どもを自分と同一視してしまうと、子どもにとっては不幸なことです。
人生に悔いがありやり直したいのであれば、自分自身の人生のなかで行うしかありません。
子どもは親とは別の人間であり、最初のうちは親の思い通りにいくことがあるかもしれませんが、いつか子どもは親の手を離れ、自ら道を選びはじめます。
ですから、親が子どもに自分を投影しているうちは、
「これでよかった。これで満足」
とは一生ならないことを知っておかなければなりません。
「子どものために」を免罪符にしてはいけない
学歴コンプレックスのある親が子どもの教育と向かいあうとき、
「自分のように辛いめに合わないように」
「将来、学歴で苦しむことのないように」
「安定した生活が送れるように」
という、親なりの子どもを心配する気持ちがあることは事実です。
しかし一方で、そうした心配というオブラートに包み隠して、自分の学歴コンプレックスを子どもの成功によって解消しようとする親がいることも否定できません。
もしかしたら自分自身をも「子どものために」というセリフで騙しているのかもしれません。
そして知らず知らずのうちに子どもを追い詰めてしまいます。
どんな親であっても、自分の願望を子どもに押しつけていないか、ときどき立ち止まって我が身を振り返ってみることは決して無駄にはならないはずです。
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